新大学生が早めに気づくとよい海外大学院という進路

この記事は、4月から日本国内において新大学生となる人たちが、自分に海外大学院という進路があると気付いたときには遅かったとなるのを防ぐための記事です。


自分は東大の文科3類に文学部志望として入学し、2年次の夏に理転して情報系の学科へ進学したのち、大学院としてニューヨーク市コロンビア大学の計算機科学科(Computer Science学科)に進学、18年の春から情報系の学生にとって夢の地域であるカリフォルニア州シリコンバレーで新卒のプログラマーとして働くという、比較的珍しい進路を取っています。

 

過去を振り返ってみて、進路選択の部分で運に助けられた部分が多くあったことを深く自覚しました。そのため、新入生が早めに気がついていないとマズい部分について指摘を行い、運が絡む要素の最小化を手助けしたいと思い、この記事を書くことにしました。


要点を一言で言えば、理転を考える場合は入学直後、海外の大学院への進学を考える場合は、大学2年の夏には考え始めないと間に合わなくなります大学院は博士課程に所属した場合で最長で6年ほど所属することになりますが、それぐらい長い期間に及ぶ決定を、入学して1年半後にはもう考え始めておいたほうが良いというわけです。ここで「間に合わなくなる」とは、出願書類が間に合わなくてやむなく1年留年する、あるいは国内で進学して仮面浪人の院バージョンをする羽目になる、などを指します。両親からの反対が強くなったりするかもしれません。道が途絶えるわけではありませんが、不必要に困難になることは間違いないでしょう。

弁護士になる、医者になるなども数年前から行動し始めないと達成できない類の進路でしょう。しかし僕はその分野に疎いため、大学院での留学という選択肢が最低でも2−3年前から計画する必要があるものだという主張に焦点をあてます。

日本には東大という素晴らしい大学があるのに、どうして調べるのが大変そうな海外に目を向ける必要があるのでしょうか?たった一回の大学と大学院の経験に基づいた意見なので誤っているかもしれませんが、しかしそれでもコンピューターサイエンスで博士課程の場合、アメリカの大学院はほぼ全てにおいて日本の大学院の上位互換です。そして僕が知らないだけで、他のほぼ全ての分野でそうなのでしょう(アメリカとは限らないですが)。

 


もっとわかりやすく言ってしまうならば、東大は二流の大学です。


 

いつだってリストには漏れがあるものなので、代ゼミの偏差値表で一番上だったからと東大を選ぶようには名の知れた海外の大学院を選んでほしくはありませんが(たとえば学部だとミネルヴァは今ほとんどのリストに載っていないでしょう)、しかし目線は常にできるだけ上を見ていてほしいと思います。あなた方がいま東大に受かったとか落ちたとかは問題ではなく(どうせもう一度試験をすれば合格者の3分の1は変わります)、今後10年間でまだまだ飛躍的に成長する可能性を秘めています。

僕が大学院で所属したコロンビア大学コンピュータサイエンス(CS)においてトップ5にはどう考えても入りませんが、それでも教授は引用数2万超えの大家だったり有名なプログラミング言語を最初に立ち上げた人だったりがゴロゴロしていますし、そういう人たちと一対一で話す機会もあります(ちなみに、そのときにどんな英語を自分と相手が喋るか、想像が付きますか?)。チームメイトがAmazonシアトル本社のインターン生だった、Googleシリコンバレー本社に就職した、ということもしょっちゅう起きます。東大で学部生をしていたときの数倍刺激的かつ教育的な日々を過ごせました。

それはちょうど、地方の名も無き学校で暇をしていた高校生の僕が、国内ではトップとされる東大に進んで数倍刺激的かつ教育的な日々を過ごしたと感じたのと同じ構図になっています。コロンビア大学で出会った同級生たち、すなわち中国のトップ大学である清華大学卒の友人や、インドのトップ大学であるインド工科大学(IIT)卒の友人も、ひょっとしたら似たようなことを言うかもしれません。いつだって辺境にはリソースが欠乏しています。それは、コロンビア大学があるニューヨークからシリコンバレーに移って、現代最高峰のソフトウェア・エンジニアリングを目撃し始めた今もまた、感じ始めたことです。これから数年間で出会う世界に、ワクワクせずには居られません。それはかつて自分が初めて東大に来たときの高揚感にも似ています。大学を卒業してもなお、そのような期待感を持ちながら日々を過ごせることは、とても幸せなことだと思います。

参考: 大学院の第2学期感想



しかしその幸せは、決して自動的にはやってきません。

 

2年の夏というと、東大で言えば進学振り分け(=所属部門の決定)の希望先を提出した段階で、博士課程のことを考え始めないといけないわけです。

 

近年は博士課程に(僕は修士課程のみですが)進学した人たちによる極めて詳細かつ有益な出願準備ブログも存在するため、一読しておくと、受験が終わったあとの世界について想像力が広がるかと思います。際立った記事を以下に3つ紹介します。情報量がとても多いので、保存しておいて時間があるときに読んでみてください。これらを見ると、なぜ2年ぐらいもの準備期間が必要なのか感覚が掴めるかと思います。

 
 

思考実験

上のような「前々からきちんと可能な進路について考えておいたほうがいいよ」という意見を全く無視した場合にどのような進路選択になるか考えてみましょう。以下の例は、意志を決定する方法論が十分磨かれていない限り、6年後までにあなたに起きることです。もしこの例に自分があてはまりつつあると感じたら、後掲の「意志決定の技術を磨くための資料」を参考にして軌道修正を測ることをお勧めします。特にあなたが大学に進む際に、「医学部に進もうか」とか「海外の学部に進もうか」とか、あるいはもっと大きく方針転換して「役者になろう!」とか、「充分に性質の異なる複数の進路」を検討をしなかった場合は、危険信号です

なおはじめに断っておきたいのですが、この例は特定の個人への攻撃を全く意図していません。実際にはあてはまる個人の存在しない藁人形とも言われかれない例であり、しかし、ややもすると大学生(特に「自分たちはもう安泰だ」と勘違いしている東大生)はこのモデルに近づきかねません。あくまで目的は、長期的/計画的かつ丹念に調べ考量して進路を決定することは、国内最高峰の大学に在籍していたとしても自動的に授業で学べることではないという重要な事実をしみじみと実感することにあります。

 

悪い例:

典型的なケースです。進路について考えるのは受動的、周りが騒ぎ出してからだけなので、二年生になった4月になって慌てて進学先のパンフレットを探し始めます。生物やってきたし生物系のA学科かな、となんとなく決め、あっでもサークル打ち込みすぎてて点数足りないからB学科にするかと変えます。決定までに10分もかからないでしょう。Nintendo Switchを買うか悩む時間のほうが長いかもしれません。「人間は難しい決定のほうがパッと決めてしまうミスを行いがち」と行動経済学が説くそのままです。本当は、生物かも、でも自分のやりたいこと/できること/やるべきことを考えたとき、本当に他の選択肢はないのかな、とそこから何段階にも検討を重ねるべきなのです。

自身の専攻変更について考える過程が抜けていることは、極めて大きな機会損失をもたらします。専攻は自分の世界観を決める、誰もがほぼ完全に制御できる数少ない変数の一つです。西洋史専攻は西洋映画を見るたび小道具の時代考証が気になって話に集中できないと言います。化学専攻は健康食品の説明を見るたびに???となると言います。僕は計算機科学専攻なので、人工知能に関する日本の報道を見ると大抵?となります。あなたは世界のどの詳細に注目するか、そのレンズを決めることになります。全てを知ることはできず、それは人脈が担当します。


興味をベースとして何らかの学科に進んだとします。たった2年間しかない専門課程では詰め込んだとしても授業として学べることがそんなにないため、「う〜んなんかあんまやってることは合わないけど、今更変えるのあれだし〜しかもここまでやったし〜」と多くは何となく現専攻の修士への進学を選びます。ここでも、自身の専攻変更について考える過程が失われています(僕の指導教官は学部が物理で院から情報系に移行しました)。とりわけ、海外の大学院への進学を検討していません。また、学部卒で働き始め、問題意識を持った段階で大学院に戻るという、最も意義の大きい大学院進学パターンの検討が抜けています。博士課程では、社会人博士という選択肢もあります。コロンビアには夜間の授業履修だけで学位取得をした社会人修士も何人か居ました。何となくで修士を取ると、そういう道がほぼ途絶えます。

 

大学院で修士論文を書き上げました。しかし修士1年から既に始まった就活で忙しく(そういえば学部では就活の情報集めすらしていなかったことにここで気付く)、あまり納得のいく成果とは言えません。就職先は学部時代の内容とはあまり関係のない、就活ランキングで上位に上がっていたコンサルティング企業です。大学で学んだことがどう活きたのかまるで不明瞭です。

そもそも、国内市場が縮小するなか海外で生き残りをかけるグローバル企業が増えている現代、製薬や土木などの専門性もなく日本語しか話せないだけの人材が企業支援の過程でどれだけの価値を持つのでしょうか?彼らにはインド人クライアントとの会議もプレゼンも任せられないし、かといって人と接しない資料収集・制作業務が特別秀でているわけでもない(そもそも英語の資料が読めて英語でまとめられないと、業務の幅は極端に狭まります)。大学6年間は人生を豊かにする教養のためにあったならば、今自分が直面している人間としてのこの貧しさはなんなのか。会社に不満があるのに、上司に不満をぶつけても首を切られないだけの「人としてのかけがえのなさ」はおろか、スキル要件を満たしておらず転職できない、毎日夜11時まで働いて家族との時間も取れない(人工知能ブームの真っ只中にいて多忙なはずのGoogleの子会社の社長ですら家族との時間を取っていますし、アメリカでのプログラマーの就業時間帯はかなり長いほうでも8時 - 6時といったところでしょう)、それではまるで会社ではなく、グローバル化が進む資本主義社会の中で、牢獄にいるようなものではないか。

 

一言で言えば思考停止に陥っており、効用を考慮せず多数派の進路を受動的に選び続ける羽目になります

 

以上の例には、3箇所大きな意志決定の転換点が登場しました。

  • 3年次以降の専攻の決定(今のあなたから見て、1年半後。考え始めるとしたら
  • 学部卒業以降の進路(卒業の1年前には定めているとして、3年後。考え始めるとしたら1年半後
  • 修士卒業以降の進路(卒業の半年前には定まっているとして、5年半後。考え始めるとしたら3年後

参考: 東大法学部卒、司法試験と就活に失敗、30歳フリーター(この手の記事は過度に絶望的な側面だけを切り取る傾向にあるので、批判的思考力よろしく、差し引いて読む必要があります。世の中は、30歳フリーターからでも、上記のような専門性のないコンサルタントからでも成功できない訳ではありません、ただ「ものすごく険しい」だけです)



さて、以上のような進路選択スゴロクを行なった場合、そもそも出願可能な程度にGPAを確保するとか英語力を底上げするとか教授に共同研究を持ちかける(海外で博士を取った人ならば、誰でも快く協力してくれます、どれだけ価値のある選択肢であるか知っているからです)と言った課題は頭に上りません。なぜならこれらは、数年前から進路を考えたときに浮かぶ長期投資的な論点だからです。


ではどうするか:

未来というものは、決して確定されて予定調和的に辿りつくものではなく、あなた自身の選択により全く異質なものにできます。戦略を決め、柔軟に計画し、行動を継続することによって、あなたの未来はまだあなたが想像をしたことがないものになりえます。大学1年のころ、まだプログラミングという言葉すら知らなかった僕は、数年後にシリコンバレーのIT企業で、世界各国から集まった同僚たちと英語で議論しながら、職業としてプログラムを書いているとはまったく想像しませんでした。


選択もまた、過去の先人から学ぶことにより、より正確な制御が可能になる対象のひとつです。次の記事では、漫然と進路を決めていては論点や選択肢にすら気づけないという観点から、意志決定、そして関連する分野として問題解決の力を磨くための資料を紹介します。興味のある人は覗いて見てください。

この日本は沈みかけており、あなたが沈まないとしたら、それはあなた自身にとっても、社会にとってもとても価値のあることです。先人のいない道を行くのは怖いかもしれませんが、同じように挑戦を続ける日本人は予想以上に多く居ます。あなたが自分にできる範囲で少しずつ、慣れてきたら大胆に、自分の未来を切り開いていけるよう願っています。